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連絡先(事務局) [四国中世史研究会について]

四国中世史研究会についてのお問い合わせは事務局(森脇崇文)へお願いします。連絡手段は電子メールに限らせていただきます。

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長谷川賢二「四国中世史研究会の現状」 [四国中世史研究会について]

(※)地方史研究387号(2017.6)の「動向 徳島大会関連」欄に掲載されたもの。原文は縦書きです。

 四国中世史研究会は、会則に「主として四国地域に関する中世史の研究を推進し、併せて史料の調査と保存を図るとともに、研究成果を社会に還元することを目的とする」(第三条)としているように、四国をフィールドとする中世史研究者が集う団体である。
 「四国は一つ」を合い言葉に一九八二年一二月に発足して以来、活動を積み重ねており、今年で三五周年となる。この間、在野で四国における地域史研究推進の一翼を担ってきたと自負している。
 本会の歴史は地方史研究協議会と深い縁がある。というのは、結成のそもそもの契機となったのは、一九八一年に愛媛県松山市で開催された地方史研究協議会第三二回大会だったからである。このときに報告した愛媛県と香川県の若い二人が知り合い、意気投合したことから、四国の中世史研究者結集の機運が生まれ、翌年の準備会、発足へと進んでいったのである。その経緯などは、本会の草分けメンバーの一人であり、現代表でもある橋詰茂氏による「四国中世史研究会の活動」(『地方史研究』三一七、二〇〇五年)や「小特集 四国中世史研究会発足のころ」(『四国中世史研究』一〇、二〇〇九年)などに詳しいので、参照いただきたい。
 また、創立二五周年にあたる二〇〇七年、香川県高松市で開催された地方史研究協議会第五八回大会(以下「高松大会」)は、四国四県の研究団体がタッグを組み、「四国大会」を標榜して準備されたものであり、本会も共催団体として深くかかわった。この大会を機に四国の地域史研究団体の連携組織として二〇〇八年に結成された四国地域史研究連絡協議会にも加入している。
 そして創立三五周年の節目となる今年、徳島市で開催される地方史研究協議会第六八回大会(以下「徳島大会」)にも参画するという縁に恵まれている。先に行った第六九回研究会の初日(二月四日)は、本会としての徳島大会に向けての準備会であった(徳島地方史研究会共催)。大会報告予定者を含む会員二名による四国の戦国史に関する報告と討論を行った。活発な議論が行われ、四国における戦国史研究の現状と課題が浮き彫りになった。準備会に相応しい展開だったといえる。
 本会の活動は年二回の定例研究会と会誌『四国中世史研究』の刊行を主としている。まず、研究会については、毎年、夏と冬に会員が集い、研究報告と討論、史料ないしは中世関係の史跡等の見学を継続している。これによって会員それぞれが知見を広げ、鍛錬するとともに、よき交流をしてきた。これまでの研究会で行われた報告はゆうに二〇〇本を超えるほどである。この数字が、地道な継続のあとを物語る。
 開催にあたっては、運営委員を中心として各県持ち回りで会場設定や見学先の調整などの事務を行っている。会員の自薦・他薦による報告、はたまた会員ではなくても、四国関係の研究をしている方への依頼報告もある。今年夏に愛媛県で開催予定の研究会でちょうど七〇回となる。
 定例研究会では、ときとして一般公開のシンポジウムを行うことがある。例えば、二五周年記念「四国を取り巻く海と文化」(二〇〇七年)や三〇周年記念「四国をめぐる戦国期の諸相」(二〇一二年)などがそうである。研究や交流を研究会内部にとどめてしまうのではなく、成果を広く社会に発信することで、歴史への関心を高め、また中世史研究への誘いとなることをねらっている。開かれた研究会を志向しているのである。
 次に会誌『四国中世史研究』についてである。これは創立五周年を記念して企画し、一九九〇年一二月に創刊したものである。以後、隔年一冊のペースで刊行が続いている。すでに一三号を数え、今夏には一四号を発行する予定となっている。会員による最新の研究成果を掲載して世に問うてきた。四国中世史研究文献目録を掲載し、研究情報の集約と提供にも意を注いでいる。二〇〇五年からは、岩田書院に委託することで書店販売のルートを確保することができたことから、四国の中世史に関する研究成果と情報の専門誌として広く認知されるようになったと感じている。
 各号に掲載された論文・研究ノート・史料紹介等は五~七本程度で、「一〇号記念号」とした第一〇号(二〇〇九年)のみ九本である。これまでの掲載総数は七三本。対象地域別に本数を示すと、伊予四〇本、阿波一七本、讃岐一〇本、土佐三本、広域等三本で、土佐が極端に少なく、一方で伊予が突出していることが分かる。土佐が少ないのは一貫した傾向だが、他は時期による差が大きい。創刊号から第六号(二〇〇七年)までは、本数の違いはあっても阿波・伊予・讃岐に関するテーマがおおむねそろうよう配されているが、第八号(二〇〇八年)以降は、伊予が一号あたり平均四本を占めて目立つようになり、讃岐が低調になっている。この点は、研究の関心や研究者の層の変化、それに伴う成果の偏在が認められるということであろう。
 ところで、高松大会以後、第四三回日本古文書学会大会(二〇一〇年)、第五一回中世史サマーセミナー(二〇一三年)といった全国規模の学会・研究会の共催、会員が運営や報告にあたった科研「日本中世における「山の寺」(山岳宗教都市)の基礎的研究」による二〇一〇年度第二回研究会「四国の「山の寺」」(愛媛県鬼北町)への合流(二〇一〇年)など、外部とのコラボレーションの機会が相次いだ。
 一方、本会が主体となって企画を推進した交流も特筆すべきである。先に触れた三〇周年記念シンポジウム「四国をめぐる戦国期の諸相」(二〇一二年)は戦国史研究会との合同研究会とし開催したものである。四国の戦国史を日本全体の動向と照応してとらえ直すことができ、画期的な機会だった。成果をまとめ、四国中世史研究会・戦国史研究会編『四国と戦国世界』(岩田書院、二〇一三年)として刊行し、好評を得た。会誌以外の出版は初めてのことだっただけに、そういう面でも新たな成果を得ることができたといってよかろう。また、近年話題になった岡山市の林原美術館所蔵石谷家文書の分析を軸にした岡山地方史研究会との合同研究会(二〇一六年)もあった。
 このように見てくると、偶然かもしれないが、高松大会は本会の活動展開における画期であったということができると思う。四国の中だけに閉じているのではなく、広く中世史研究の動向に関与し、また貢献してきたのである。したがって、高松大会以後、交流と発信のチャンネルが拡大してきたといってよいだろう。
 この間、会員規模も大きくなってきた。発足当時は一〇名。まことにささやかな集まりだった。それが二〇〇五年には三〇余名となり、現在は徳島県一六名、高知県五名、愛媛県二〇名、香川県一〇名、四国外三四名(半数弱が関東)の計八五名である。大規模な全国学会とは比較にならないが、本会のそもそもの規模からすれば、明らかに大所帯になったといえるだろう。
 会員の属性は、発足当時は四国内に居住する小・中学校や高校、大学の教員、地方公務員が主であったが、四国でも博物館の設立が進んだ一九九〇年代には学芸員の参加が見られるようになり、さらに近年は大学院生やオーバードクタークラスの若手が目立つ。
 ただ、地域別の状況を見ると、高知県の会員がきわめて少ないため、研究会の開催もままならないでいる。また、比較的若い世代が活躍している愛媛県を除くと、各県とも新規入会が滅多になく、若手があまりいないため、停滞感が否めない。一方、以前は例外的だった四国外からの、しかも若手の参加が多くなっている。四国への関心の高まり、四国における中世史研究の拠点としての本会への期待を感じるものの、そうした四国外の会員の参加に活性化を依存しているのが現状である。運営の継承という意味では、やはり四国内の体制が維持できなければならず、不安があるといわざるを得ない。
 さらに、規模の拡大の反面、こぢんまりとした同好会として保っていたアットホームな雰囲気が薄れ、ごく一般的な歴史系の研究会に変わりつつあるように感じることがなくもない。会員同士の距離感や研究会への参加意識に変化が生じているのだろう。その一因は、二〇〇五年に行った運営体制の改変にあるのかもしれない。従来、「会員」の範囲が定かでなく、研究会の運営、会誌の発行は、その都度、参加や執筆のメンバーの出資によってまかなっていたが、会員登録をすることで年会費制を導入し、「会員が支える」仕組みをつくるとともに、運営責任を明確にするよう代表と運営委員を置く会務体制を整備した。それがかえって「顔の見えない」会員を増やしてしまったようにも思える。それでも形式的な運営に陥ることのないよう、会員同士の切磋琢磨を忘れずに、四国を研究フィールドとする中世史研究を継続・発展させるべく、これからのあり方を模索していきたいものである。それが本会を結成した草分けメンバーの志を継承していくということでもあろう。そして、来る徳島大会が、本会にとっても新しいステップとなることを念願してやまない。
 なお、本会では、ブログを開設し、研究会や会誌の情報、会員の著作などの情報を発信している(http://4chuken.blog.so-net.ne.jp/)。ご覧いただき、活動に興味をお持ちいただける方には、ぜひご参加いただきたいと思う。


四国中世史研究会 略年表

年    月  日     事項 
一九八二 一〇 三一    準備会。香川、愛媛、徳島三県代表者による結成に向けての協議
     一二 二五~二六 結成。第一回研究会[香川県高松市]
一九九〇 一二 一〇    会誌『四国中世史研究』創刊号を発行
一九九七 八  二三    第三〇回研究会(シンポジウム「戦国期の四国」)[徳島県池田町]。池田町郷土史会の協力
二〇〇三 九        『四国中世史研究』の販売を岩田書院に委託
二〇〇五 四  一     代表及び運営委員を置く会務体制の発足と年会費制の導入(八月二七~二八日の第四六回研究会に際して決定し、遡及実施)
二〇〇七 八  二五~二六 第五〇回研究会(二五周年記念シンポジウム「四国を取り巻く海と文化」)[香川県高松市]
     一〇 二七~二九 地方史研究協議会第五八回大会(香川県高松市)。本会は共催
二〇〇八 一一 一~二   四国地域史研究連絡協議会が結成され、本会も加入。第一回四国地域史研究大会「「四国遍路研究前進のために」[愛媛県松山市]
二〇〇九 八  二二    『四国中世史研究』第一〇号(記念号)を発行。「小特集 四国中世史研究会発足のころ」を掲載
二〇一〇 八  二一~二二 第五六回研究会を日本古文書学会との合同研究会として開催
     九  二五~二七 第四三回日本古文書学会大会[愛媛県松山市]。本会は共催
     一二 一八~二〇 第五七回研究会(科学研究費補助金基盤研究(B)「日本中世における「山の寺」(山岳宗教都市)の基礎的研究」による二〇一〇年度第二回研究会「四国の「山の寺」」に合流)[愛媛県鬼北町]
二〇一二 八  一八~一九 第六〇回研究会(三〇周年記念公開シンポジウム「四国をめぐる戦国期の諸相」)を戦国史研究会との合同研究会として開催[香川県高松市]
二〇一三 五        四国中世史研究会・戦国史研究会編『四国と戦国世界』(岩田書院)刊行 
     八 二三~二五  第六二回研究会(第五一回中世史サマーセミナー)[愛媛県松山市]。本会は共催
二〇一六 二  二七~二八 第六七回研究会を岡山地方史研究会との合同研究会として開催[岡山県岡山市]
二〇一七 二  四~五   第六九回研究会(地方史研究協議会第六八回大会準備会)[徳島県徳島市]。徳島地方史研究会の共催
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橋詰 茂「四国中世史研究会の活動」 [四国中世史研究会について]

(※)地方史研究317号(2005.10)の動向欄に掲載されたもの。著原文は縦書きです。

 全国各地で地域史研究会の活動は活発に行われているが、その中で四国という広範囲の地域をフィールドにした研究会がある。四国中世史研究会(略称四中研)と称するが、その活動状況を記してみたい。
 研究会の創立は一九八二年十二月である。「この日高松市において発会式が開かれ、続いて翌二十六日にかけて第一回の研究会が催された。四国各県から集まったメンバーは十人、まことにささやかな発会式であった。集まったメンバーは、小・中・高・大学の教員や地方公務員などさまざまであったが、いずれも二十代半ばから三十代前半までの若い研究者たちであり、何よりも中世の地域史に強い関心を有していた。会員の地域史に対する考え方は必ずしも同じではなかったが、従来の地域に密着しすぎて批判精神を失ってしまった郷土史、中央への従属意識を断ち切れなかった地方史をのりこえて、新しい地域史をめざそうとする点では共通していた。・・・」これは『四国中世史研究』創刊号の発刊のことばの一節だが、ここに本会の創立の意図が明確に示されていよう。
 創立から早二〇数年の歳月がたつ。創立時には「四十才以上は入会させない、若手が学ぶ場だ」とうそぶいていたが、創立時のメンバーの大半はすでに五十代後半になっている。その歳になっても退会せずに現在に至っているが、それは本会で培われたものが各自の研究に寄与しているからでもあろう。会員たちは情報を交換し、自らの研究方法を鍛えていった。そこで生み出された成果は四国各県の中世史研究に刺激を与えたと会員一同自負している。会員は地元の自治体史や地域の調査報告書に携わるなど、地域に密着しながらも自己の研究に邁進している。四国という地域の枠にとどまらず、地方から中央へ向けての発信を心がけ、新たな歴史像の構築を図っている。
 研究会の活動は、夏と冬に開かれる年二回の定例の研究会である。各県が持ち回りで事務局を引き受け、各県から一本ずつ研究報告をし、翌日には古文書見学を中心とした巡見といった形である。これまでの報告は一八〇余本、見学した古文書は五〇余種類に及ぶ。そこで学んだことが自己の研究に生かされたことは言うまでもない。
 この間、五周年を記念して会誌の発刊を企画し、九〇年十二月に『四国中世史研究』を創刊した。会誌は隔年に発行し、この八月に八号が刊行される。今までに収録された論文は約四〇本、また各県の中世史研究文献目録を収載し、研究者の利用の便に供することに務めている。現在会員数は三〇余名、愛媛・徳島県は若手の研究者の活動が活発化しているが、高知県は少数であり、香川県では若手が少ない現状である。ただ四国以外でも会員が何人かおり、広島・東京方面からの参加者も見られる。
 四十七回目を数えるこの夏の研究会は、「四国から見た戦国期の讃岐」のテーマでシンポジウムを開催する。それは今年、香川県の会員を中心にして『中世の讃岐』と称する冊子が編集されたが、本の上梓を記念して本会主催で開催するようにした。同書は、従来の讃岐の歴史を叙述するだけでなく、四国から讃岐を再検討する視点で執筆するように努めた。そこで他県の会員に特別寄稿を依頼し、それぞれの県からの視点で讃岐の中世史を記述した。ここからも四国という地域史の重要性が認識されたと感じる。研究会は会員だけのものではなく、広く歴史に興味を持つ人々のためにも情報を公開する目的を持つ。過去にも何回かシンポジウムを開催したが、多くの人に歴史の醍醐味を味わって欲しいとの考え方からであった。ある特定の会員だけの研究会ではなく、開かれた会にすることが地方で活動する研究者の責務でもあろう。
 さて、本会の創立の契機となったのは、一九八一年十月に松山市で開催された地方史研究協議会大会であった。大会で報告した愛媛県と香川県の二人が懇親会の席上で知り合い、地方において一人で研究する厳しさと限界を話し合い意気投合した。翌年再会した二人は、四国の研究仲間を集めて共に研究活動を続けようと意見が一致したのである。そしてその後各県へ呼びかけ、在野の埋もれた若手研究者の発掘と、活動の場の設定として本研究会が設立されたのであった。地方史大会がなければ本会が創立されたかどうかはわからない。その意味でも地方史大会が、隔年に地方で開催される意義は大きい。
 二〇〇七年に四半世紀振りに四国の地(高松)で地方史大会が開催されることになった。数年前から四国中世史研究会では四国での地方史大会の開催を要望していた。その夢が実現されることとなったが、地方史大会開催の年に本会は創立二十五周年を迎える。その記念すべき年に開催されるのは奇遇というより外はない。この大会が四国地域に刺激を与え、地元の歴史研究者に励みとなり、新たな若手研究者が現れることを望むのは私一人ではなかろう。大会開催にあたり、全面的に協力体制をとるつもりである。そして大会開催を契機として、本会が今以上にますます充実していくよう活動を継続していく所存である。本研究会の会員と一層の交流を図って欲しいと節に願っている。
 二年後の地方史大会には、多くの人々が高松の地を訪れることを今から心待ちしている。さぬきうどんと瀬戸内の魚で歓待したいと思いつつ・・・。


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入会方法 [四国中世史研究会について]

本会の趣旨に賛同いただける方は、どなたでもご入会できます。とくに資格等の制限はありません。
会費は年額2,000円で、会員は研究会の案内(年2回)、会誌『四国中世史研究』の配布(隔年1冊)が受けられるほか、会誌への投稿ができます。
入会をご希望の方は、事務局までご連絡いただければ、手続き等についてご案内いたします。


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四国中世史研究会とは [四国中世史研究会について]

四国中世史研究会は、1982年12月、四国地域の中世史研究に関心を持つ者10名によって発足しました。以来、年2回の研究会と巡見を継続し、1990年からは、おおむね隔年で会誌『四国中世史研究』を刊行しています。ささやかながらも、中世地域史研究の深化を図るべく活動しています。四国地域の中世史に関心をお持ちの方のご参加をお待ちしています。


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