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橋詰 茂「四国中世史研究会の活動」 [四国中世史研究会について]

(※)地方史研究317号(2005.10)の動向欄に掲載されたもの。著原文は縦書きです。

 全国各地で地域史研究会の活動は活発に行われているが、その中で四国という広範囲の地域をフィールドにした研究会がある。四国中世史研究会(略称四中研)と称するが、その活動状況を記してみたい。
 研究会の創立は一九八二年十二月である。「この日高松市において発会式が開かれ、続いて翌二十六日にかけて第一回の研究会が催された。四国各県から集まったメンバーは十人、まことにささやかな発会式であった。集まったメンバーは、小・中・高・大学の教員や地方公務員などさまざまであったが、いずれも二十代半ばから三十代前半までの若い研究者たちであり、何よりも中世の地域史に強い関心を有していた。会員の地域史に対する考え方は必ずしも同じではなかったが、従来の地域に密着しすぎて批判精神を失ってしまった郷土史、中央への従属意識を断ち切れなかった地方史をのりこえて、新しい地域史をめざそうとする点では共通していた。・・・」これは『四国中世史研究』創刊号の発刊のことばの一節だが、ここに本会の創立の意図が明確に示されていよう。
 創立から早二〇数年の歳月がたつ。創立時には「四十才以上は入会させない、若手が学ぶ場だ」とうそぶいていたが、創立時のメンバーの大半はすでに五十代後半になっている。その歳になっても退会せずに現在に至っているが、それは本会で培われたものが各自の研究に寄与しているからでもあろう。会員たちは情報を交換し、自らの研究方法を鍛えていった。そこで生み出された成果は四国各県の中世史研究に刺激を与えたと会員一同自負している。会員は地元の自治体史や地域の調査報告書に携わるなど、地域に密着しながらも自己の研究に邁進している。四国という地域の枠にとどまらず、地方から中央へ向けての発信を心がけ、新たな歴史像の構築を図っている。
 研究会の活動は、夏と冬に開かれる年二回の定例の研究会である。各県が持ち回りで事務局を引き受け、各県から一本ずつ研究報告をし、翌日には古文書見学を中心とした巡見といった形である。これまでの報告は一八〇余本、見学した古文書は五〇余種類に及ぶ。そこで学んだことが自己の研究に生かされたことは言うまでもない。
 この間、五周年を記念して会誌の発刊を企画し、九〇年十二月に『四国中世史研究』を創刊した。会誌は隔年に発行し、この八月に八号が刊行される。今までに収録された論文は約四〇本、また各県の中世史研究文献目録を収載し、研究者の利用の便に供することに務めている。現在会員数は三〇余名、愛媛・徳島県は若手の研究者の活動が活発化しているが、高知県は少数であり、香川県では若手が少ない現状である。ただ四国以外でも会員が何人かおり、広島・東京方面からの参加者も見られる。
 四十七回目を数えるこの夏の研究会は、「四国から見た戦国期の讃岐」のテーマでシンポジウムを開催する。それは今年、香川県の会員を中心にして『中世の讃岐』と称する冊子が編集されたが、本の上梓を記念して本会主催で開催するようにした。同書は、従来の讃岐の歴史を叙述するだけでなく、四国から讃岐を再検討する視点で執筆するように努めた。そこで他県の会員に特別寄稿を依頼し、それぞれの県からの視点で讃岐の中世史を記述した。ここからも四国という地域史の重要性が認識されたと感じる。研究会は会員だけのものではなく、広く歴史に興味を持つ人々のためにも情報を公開する目的を持つ。過去にも何回かシンポジウムを開催したが、多くの人に歴史の醍醐味を味わって欲しいとの考え方からであった。ある特定の会員だけの研究会ではなく、開かれた会にすることが地方で活動する研究者の責務でもあろう。
 さて、本会の創立の契機となったのは、一九八一年十月に松山市で開催された地方史研究協議会大会であった。大会で報告した愛媛県と香川県の二人が懇親会の席上で知り合い、地方において一人で研究する厳しさと限界を話し合い意気投合した。翌年再会した二人は、四国の研究仲間を集めて共に研究活動を続けようと意見が一致したのである。そしてその後各県へ呼びかけ、在野の埋もれた若手研究者の発掘と、活動の場の設定として本研究会が設立されたのであった。地方史大会がなければ本会が創立されたかどうかはわからない。その意味でも地方史大会が、隔年に地方で開催される意義は大きい。
 二〇〇七年に四半世紀振りに四国の地(高松)で地方史大会が開催されることになった。数年前から四国中世史研究会では四国での地方史大会の開催を要望していた。その夢が実現されることとなったが、地方史大会開催の年に本会は創立二十五周年を迎える。その記念すべき年に開催されるのは奇遇というより外はない。この大会が四国地域に刺激を与え、地元の歴史研究者に励みとなり、新たな若手研究者が現れることを望むのは私一人ではなかろう。大会開催にあたり、全面的に協力体制をとるつもりである。そして大会開催を契機として、本会が今以上にますます充実していくよう活動を継続していく所存である。本研究会の会員と一層の交流を図って欲しいと節に願っている。
 二年後の地方史大会には、多くの人々が高松の地を訪れることを今から心待ちしている。さぬきうどんと瀬戸内の魚で歓待したいと思いつつ・・・。


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